アウトプットに悩んでます
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TL;DR
- オープンな情報には力がある
- 情報は受け取った側が評価するもの(半分はわかる)
- インプットしやすいアウトプットを出したい
毎日アウトプット
誰かと会話をしない日はない。一番小さなアウトプットだ。 人間として一人で生きていくことよりも、濃淡はあれど人と接することはあるし必要だ。
私は得意なアウトプットの形式は多くない。ブログという形式も得意な方ではない。時間もかかる。
チャットツール
仕事ではチャットツールを使うことが多い。今思えばツールも多く移り変わってきた。 (参考)
- Skype
- IRC
- HipChat
- Slack
- Discord
- Gather
書き起こしてみるとslackとの付き合いは本当に長い。まさにIRCの上位互換として多くの会社に受け入れられている。 プライベートでも利用できるフリーミアムなツールも増えて豊かになったものだ。 アウトプットすることが気軽になり、インプットとは能動的なものではなく受動的なものが増えた。 悩んでいるのは**「情報をどこまでオープンであるべきか」**だ。
インプットを制限する技術
今の時代、情報は多すぎる。検索をはじめ情報のフィルタリングとはこれからの時代により必要な技術だ。 繰り返しになるが、受動的は本当に増えた。
- 1つは広告だ。世の中には知ってほしい人が多く様々な人目に触れる機会を探している。
- 2つ目にSNSだ。SNSの多くは不特性多数に向けられたもので、時には人に不快な思いをさせる。誰かの幸せは別の誰かの幸せとは限らない。
広告とは誠によく考えられている事が多い。伝えたいことを絞りターゲットを絞ることなども増えてきた。 SNSとはオープンなもの多い。また受動的に情報を受け取りやすい。その情報のコンテキストも特にわからないままにだ。 過去の経験より、私は言葉の強さを知りSNSサービス上に直接文章を残しコンテキストを残すのをやめた。私には私のアウトプットがどのように解釈されるのかわからなくなったからだ。
情報は受け取った側が評価するもの
「情報は受け取った側が評価するもの」
最近フィードバック面接の際に言われたことだ。それは真理だ。 「オープンな情報とはいつ何時だれに解釈されても問題のないものであるべきだ」だとその時は理解した。
半分はわかる。もう半分は「オープンな場所では何もできませんってことですか」だ。 解釈を恐れてはアウトプットは生まれない。
現在
環境が変わりインプットも圧倒的に増えている。 オープンとは強い力を持つと改めて実感する。日々の情報を解釈することが許され、それらが性善説の上に成立している。
新しい情報の海にワクワクしている。 まずは得意なアウトプットの形式から頑張る。インプットしやすいアウトプット を出せるようレベルアップするぞ。